自分に出来ていたこと、出来なかった事を比較する
何かを考察するときは一つの物だけを考えるよりも二つの物を比較しながら考えたほうが色々な事が見えてくることがあります。
今日のブログでは私が自分の依存症を理解するために行った、
自分に出来ていたこと、出来なかった事を比較して考える
という事を紹介していきたいと思います。
自分のギャンブル依存症に対して自分なりの回答を持つ。
私は底つき体験をしたときに
「どうしてこうなった」「ギャンブル依存ってなんなんだ」「どうすれば立ち直ることができる」などなど
自分の大きすぎる罪悪感と恥ずかしさや悔しさで一杯の頭をなんとかフル回転させて、救いを求めるように毎日毎日、一日中読書をして自分なりの回答を探し続けました。
一般的な考え方とはずれているかもしれませんが
自分の依存症状に対して形のある自分自身の回答を持つということは回復に役立つ
と私は考えているのです。医学的な根拠なんていりません、間違っててもいいと思います。自分が信じられるブレない考え方の主軸を作るのです。
私の場合は
ギャンブル依存とは脳の問題であり、私の理性や人格を超越した力に支配されていた。だから、脳内の言語である伝達物質や電気信号という脳の根本から変えなければ回復はない!
という回答を得ました。
過去の実際の自分の行動を比較する
実際に箇条書きにしてみるといいと思います。私のケースで例に書いてみます。
出来ていたこと
「中高の通学、部活」「受験勉強」「仕事にサボらずに行き、真面目にこなす」「泥棒や詐欺など被害者のある犯罪はしない」「(表面的かもだけど)人には優しくする」「感情的になったり暴力をふるったりしない」etc.
出来ていなかった事
「大学の授業をサボり続けた」「平気で嘘をついていた(人に対して不誠実だった)」「被害者さえいなければ法律に反してもよいと思っていた(オンラインカジノなど)」「金銭感覚がずれていた」etc.
他にもありますがこれくらいにしておきます。
そしてこれらについてなぜ、出来た、出来なかったの違いが出たのかをそれぞれ比較して自分の中で回答を出していきました。
全てを書くと文字数が大変なことになるので次の項目でその回答の一例を紹介します。
無数に存在するリスクファクター
「一つの大事故の前には数千のリスクファクターがある」(不正確)
ギャンブル依存症という結果の前に私はギャンブル依存症を引き起こす無数のリスクファクターを抱えていたはずなのです。
そして前項目で述べたような比較をしての考察を行うことでそれらは少しずつ浮き彫りになってくるのではないでしょうか。
例えば、「大学にはサボったが仕事には毎日行けた」
この二つの違いがなぜ自分の中に存在したのか。私の出した回答はこうでした。
私は結果の方を重視しすぎる傾向があり、過程をかなり軽視する。
仕事はまず行くことが結果であり欠勤は許されません、そしてそこでも結果を出す。大学って結構サボれるんですよね笑単位を取ること自体が結果だと私は思いこんでいたので。結果さえ出せれば道中どんな不誠実な事をしても問題ないという考えを私は持っていたのです。
この考え方は、後に「返済(結果)さえすれば嘘をついてどんな無茶な借金をしても問題ない」という思考回路に繋がってしまいました。
他のリスクファクターも前記事で一例を紹介しています。よろしければ
gamble-addiction.hatenablog.com
浮き彫りになる課題
このようにして過去の自分の実際の行動を比較すると、自分が抱えてきたリスクファクターが見え今後の課題が浮き彫りになってきます。
自分の中で信じられるギャンブル依存症への回答をもって、これらの課題に取り組んでいく。私はこのような行動の反復こそが依存症への回復へと繋がっていると信じています。
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